2020-11-13 第203回国会 衆議院 内閣委員会 第3号
今、コロナでもよく名前が出るジョンズ・ホプキンス大学にも私は勤務しておりまして、ちょうど昨年度のノーベル医学・生理学賞を受賞されたドクター・セメンザと一緒に、私、共同研究を実はしておりまして、HIF―1というものでドクター・セメンザはノーベル賞をとっておりますが、実は私の書いた論文も受賞事由の中の業績の一つに入っております。 そういった意味で、私も純粋に、一時期、学問の世界で生きておりました。
今、コロナでもよく名前が出るジョンズ・ホプキンス大学にも私は勤務しておりまして、ちょうど昨年度のノーベル医学・生理学賞を受賞されたドクター・セメンザと一緒に、私、共同研究を実はしておりまして、HIF―1というものでドクター・セメンザはノーベル賞をとっておりますが、実は私の書いた論文も受賞事由の中の業績の一つに入っております。 そういった意味で、私も純粋に、一時期、学問の世界で生きておりました。
大臣、ノーベル賞というのは、siRNAとか、あと、iPSみたいな極めて特殊な技術に関しては短期間の受賞があるんですけれども、さっきの、ドクター・セメンザと私が一緒に研究していたのは十年以上前です。普通は、ノーベル賞というのは十年、二十年前の業績、大抵二十年ぐらい前の業績に対してノーベル賞というのは得られるんです。
また、私がアメリカ時代のメリーランドのジョンズ・ホプキンス大学のフェローであったころに共同研究者であったドクター・セメンザという方が、細胞が酸素の欠乏した環境に適応することを可能にするHIF―1を発見したこと等によって、本年度、ノーベル医学・生理学賞を受賞をされました。
また、アメリカのメリーランド州のジョンズ・ホプキンス大学というところでフェローを私もしていたんですが、その際の共同研究者であったドクター・セメンザという方が、細胞が酸素の欠乏した環境で適応することを可能にするHIF1という遺伝子を発見したことによってノーベル医学・生理学賞を受賞しました。
私がドクター・セメンザと一緒に研究をしたのは、もう、データを集め、つくっていたのは二〇〇八年、二〇〇九年ですよ。しかし、論文になったのは二〇一〇年。その後、私のやっていた研究を引き継いだ方が二〇一三年に論文を書いている。いいですか、既に十年たっているんです。このときはもうドクター・セメンザの研究というのは円熟期です。